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スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

ここは日西翻訳研究塾ホームページ 連載短編小説「Waltz In BLACK-02」のページです

 

     
Yossieの連載短編小説「Waltz In BLACK
 

.第一話『面』
..その2
 そのとき。
「あれ?」
 狐の面をかぶったままの子供が、小さな声をあげる。
「どうしたい、坊」
 先ほどと同じ問いかけだが、今度は安堵の気持ちがにじみ出ていた。この気づまりな状況を変えてくれるなら、何だって有難いのだ。
 しかし。
「とれないよ」
 子供の言葉が、とっさに信じられない。
「えっ?」
 面の縁を両手で掴み、前に持って行きたそうだが、動かない。言葉の通り、顔に貼りついているように見える。
「どうなっているんだい? 何か、接着性のものでも塗布しているのか?」
「せ、先生、難しいことを言わないでおくんなさい。糊かなんか付いてるか、ってことですか?とんでもない。ゴム紐をかけて留めてるだけでさァ」
 異常な事態に、何とか口は回るようになった。だが、状況はさっきより悪いのだ。
「どっかに、引っかかってるんじゃ……?」
 だが、子供は丸刈りの坊主頭で、ゴム紐が髪の毛に絡まっている訳でもない。たとえ安物の材料でも、薬剤が溶けて顔に貼りつくとも思えないが、万一のことがあっては大変だ。
「小父さんが引っ張ってみるからな」
 手を伸ばし、外そうとしたが、子供が大きな声を出す。
「いたい! やめてよ!」
「おい君、止め給え」
 痛がる様子に、さすがに直ぐ、父親が止めさせた。
「で、でも……」
 面売りを制し、男が子供に問う。
「引っ張ると痛いんだな?何もしなければ、大丈夫なのか?」
「うん」
「何か、強い臭いは?」
 接着剤を疑っているのだろう。だが、子供は首を振る。
「ううん。なにもしないよ」
「そうか……。とはいえ、このままでは困るな」
 困る、などという問題ではなかろうが、父親は非現実的な言葉を吐く。
「まさか、本当の狐になってしまうのでは…」
「寝言みたいなことを言わんでください。大学出の、偉い先生が……」
 面売りが口を挟むが、男はまだ続けた。
「山の神様の、思し召しだろうか。面売りの小父さんの悪戯のせいで、お前が本当に狐になってしまったら、父さんはどうしたらいいんだ。母さんも悲しんで、きっと病気になってしまうだろうし」
「あ、あのう……あっしの商売のやり方は謝りますから……。何でしたら、お代もお返ししますし……」
「君は何を言っているんだ。それでこの子の面が、外れるとでも? まさか、芝居だと思っているんじゃないだろうね」
 じろりと睨まれて、面売りは上ずった声をあげる。
「め、滅相もない」
 そこへまた、子供が追い打ちをかけた。
「おとうさん、たすけて。どうしてとれないの……、あ、あれ? なんだろう、これ……?」
 上ずった、何かに怯えたような声を出す。見てはいけない、きっと、恐ろしい思いをすることになると予想できる。だが、面売りは、それに視線を向けてしまった。
「う……」
 面をかぶっているため本人には見えていないようだが、子供が後ろ手に触れているのは、見事な程にふさふさとした……、狐の尻尾だった。
「うわああああああっ!」
 恐怖の叫びをあげて、面売りはその場を逃げ出す。もはや、後のことなど考えられない。

「……やりすぎだ」
 腕組みをした男が、ぼそりと呟く。
「おとうさんだって」
 取れなかったはずの狐の面を斜(はす)にかぶり直し、子供が言い返した。
「店を放り出して、逃げて行ってしまったじゃないか。灯もあるし、危ないぞ」
 大きな音を立てているバッテリーを切り、火の元を確かめる。
「小ずるいやり方で、面を売ってるって言うから」
「ちょっとだけ、からかったのにね」
「薬が効きすぎたようだな」
 金は身に着けていたようだし、他に使いようのない面を盗んでいく者もいまい。男は頷いて、子供の肩に手を置いた。
「帰ろうか」
「うん」
 参道の先、遠くに見える拝殿に軽く頭を下げた後、二人はその場を離れる。

 石段を降りた脇の植え込みから、足が生えていた。何者かと気づいた父子は、顔を見合わせて笑う。
「おい君、頭隠して尻隠さずかい」
「だいじょうぶ?」
「ひっ! お助け……、あ、あれ?」
 ガサガサと葉を掻き別け、案の定、先程の面売りが顔を出した。
「驚かせて、済まなかったね」
「さようなら、おじさん」
 子供の顔は普通に人の子で、面はただ、額に乗っているだけだ。面売りは今度はほっとして、腰が抜ける。
 村人は誰も、今の小さな事件には気付かない。人々のざわめきは遠く、秋の夜はゆっくりと更けていく。
(つづく)
     

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