朝礼
以前、「日本人は標語好き」を書いたとき、そういえば、日本人はミーティングの類が好きな国民であることを思い出した
私たちが小中学生の頃は毎週一回月曜日の朝、校庭に軍隊式に整列させられ朝礼が行われたものだった。以前住んでいた家の近くには比較的規模の大きい民間企業があって、そこでは毎朝8時半になるとラジオ体操の音楽がかかり、引き続き朝礼なるものが催されているのが聞こえてきた。また、かなり昔のことだが、私の父親が現役の会社員であった頃のこと、彼は一支部をまかされており、週に一度、朝礼を行うのを常としていた
この朝礼、単なる業務連絡の場ではない。学校であれば「朝はおはようといいましょう」とか、「気を引き締めて勉学にいそしみましょう」というお仕着せ基調の訓示を校長や教頭が行う。また、企業では、実直、正直、誠実といった道徳規範が強調されるだけでなく、会社のために、ひいては自分のために一生懸命働いて売り上げを伸ばしましょうという論調である。いずれも、双方向性は全くないと言ってよい
当時、私たち家族の住居は事務所と同じ建物の中にあったため、幼い私は、父が行う朝礼にちょこんと座って出席するのが楽しみだった。月曜の早朝のなんとなく新しい空気に伝わるぴりりとした緊張の中で、自分だけがあたかもバリアーで守られているかのようにお絵かきなどをして無関係でいられる「特権」を感じるのが好きだったからだ
こんなふうに思い起こすと、辞書にある「朝礼:Reunión matutina antes de empezar el trabajo(白水社和西辞典」は私が知っている朝礼の雰囲気を伝えてはいない
かつてアルバイトをしたある外国公館では毎週月曜日の朝に集会が行われ、日本人スタッフはそれを「朝礼」と呼んでいた。しかし、そこは単なる業務連絡の場であり、週間予定の確認が終了すると軽いジョークをかわしながら皆それぞれの持ち場に戻って行く。まさに、「Reunión matutina antes de empezar el trabajo」であった
「Catecismo de Mañana」と称し、今、私と上司は仕事が始まる前のひと時を雑談を交えた業務連絡の時間にあてている。しかし、「Catecismo」の本来の意味にかえって考えると、形式は違っても日本の朝礼のほうがずっと本来の意味に近いのではないだろうか。そんなことを思いながらこのミーティングに臨んでいる
Gatito Umi-chan
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.59(2005年09月末発行)』に掲載されたものです |