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光 === 夜空を見上げると数千個の星が見える。肉眼で見えるそれらの星は太陽のように自ら光を発する星か、比較的近くにある星だ。私たちの地球は自らの光をもたない惑星なので宇宙からは大変見えにくい星のひとつに分類されるということだ
しかし、この季節、都会はどこもかしこもクリスマスのイルミネーションの光にあふれている。年々この光は増える一方だ。もし、どこかはるか遠くの天体から地球を観察している高等生物がいたら、太陽の周囲を公転するえせ太陽のような地球を見つけてきっとこう言っているにちがいない。「それにしても発光のしかたがいびつだ…」
洋の東西、そして宗教を問わず、およそ光は善である。キリストも天使も仏様も皆、光輪をつけているし、「光明」、「Iluminación (英:Enlightment) 」は「悟り」を意味する。「dar a luz/ alumbrar」は「出産する」という意味であり、命の誕生を意味する。一方、「光を失う」ことは希望を失う意味であるし、「tener pocas luces」 は「愚鈍である」というモディスモである。「persona lúcida」は頭脳明晰な人のことだ
なぜ、光は善なのだろう?
あらゆる事象はその対をなす事象により説明を試みることができる。つまり、有がその対概念である無によりはじめて裏づけられるように、闇は光の存在によりはじめて闇たり得るというような
宇宙の年齢は約137億年と推定されている。そして最初の一億年は星がひとつもない闇が支配していた。その闇の中に星が生まれ、光が生まれ、生命が生まれた。生命は光が生じて初めて可能となったのだ。光は命の根源なのだ
不善であるとして人は闇を恐れるが、それは、光を失うことは、生命を失うことと同じだからに違いない
「もっと光を!」は臨終の際にあったゲーテがこの世への未練を比喩的に表現した言葉として知られているが、実際には、病床にある彼がまぶしくないようにとカーテンがひかれていた部屋が暗くかったので、「もっと明るくして欲しい」と言いたかっただけ、といった様々な解釈があるようだ。いずれにしろ、最後に彼が求めたものが光であったことだけは確かなのだ
紅白の大トリをとるという例のSMAPがCMソングで歌っている「光る海、光る大空、光る大地、行こう無限の地平線」。なんと希望にあふれる歌詞だろう。8マンは∞マンなのである
富の偏在状況を反映するがごとく光を放つ地球。この地球が、そして、皆様にとっての2006年があまねく「光」に覆われますようお祈り申し上げます
Gatito Umi-chan
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.62(2005年12月末発行)』に掲載されたものです |