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あいまい便利な日本語表現
その3)===
なんだかわかりにくい日本語
だいたい、約、…くらい、前後、ほど、心持・気持ち(多め・少な目)、…強、…弱、ほとんど、なんとなく…
どうして日本語にはこんなにあいまいな表現が多いのだろう。ここのところ春のぐずついた天気が続いている折、くっきりとした抜けるような空の青さに恵まれないと、言葉までこんな風にぐずぐずとあいまいになってしまうのだろうと納得した気分になっている
さて、前回の好評に気を良くした海ちゃんにもう一度登場してもらって、あいまいな日本語表現について引き続き考えてみよう。まずは、日本語が少しわかるようになったスペインのお友達を日本に迎えた海ちゃんという有り得ない設定のシュールな会話から
海ちゃん:この猫じゃらし君たちにプレゼントするのにゃ
日本のお友達:すまんにゃ
スペインのお友達:¿Por qué este chico pide perdón en lugar de decir “gracias?(何でこのネコあやまってるの?)
店員さん:こちらのほうがお客様にご注文いただいた商品になります
海:どうもにゃ
スペインのお友達:¿Qué dice este señor, Umi? ¿Viene algo para acá? ¿Qué es lo que se convierte en no sé qué?(海、この店員さん何て言ってるの?何かがこっちの方に来るの?何が何になるって?(((@@))))
海:信号が青にゃ。渡ろうにゃ!
日本のお友達:それっ!
スペインのお友達:El semáforo está en verde, no en azur, Umi.(信号は青じゃなくて緑だよ)
海:猫缶を10個ばかりくださいにゃ。それと、マタタビの小枝をふたつほどくださいにゃ
お店の人:はーい、猫缶10個とマタタビ2本ね
スペインのお友達:¿Porqué no precisas la cantidad?(どうしてはっきりと何個って言わにゃいの?)
海:このニャンコはスペインから来たお友達にゃ。よろしくにゃ
日本のお友達:わぁ、海ちゃんのお友達って、スペイン語とかがぁ、上手みたいなぁ、ニャンコかもっ
スペインのお友達:No es que quizá sea yo gato sino soy un gato de hecho y derecho. Soy de España y claro, hablo españoooool!!!!!!(ぼくがネコかも知れないって?正真正銘のネコだよ。僕はスペインから来たんだ。スペイン語をしゃべるに決まってのにゃ!)
(スペインのお友達ニャンコってなんて愛想がないんでしょうって感じですね。少し日本語がわかる彼はどうして物事がその通りに表現されないのかに納得ができない様子です)
感謝(ありがとう)には「ごめんなさい・すみません」を意味する謝罪の「謝」の字が使われている。感謝と謝罪の境界があいまいなのは、お礼を表現する「ありがとう」には「相手を自分のために煩わせたことを申し訳ない」と思う謙遜・謙譲のニュアンスがもとより含まれているからのようだ
こんなふうに、ありがとうとすみませんがごっちゃになっていたり、緑と青が混同されていたり、人と人の境界があいまいな島国の農村社会では、いろいろなことの境界があいまいになっていったのだろう
そして日本の豊かな自然もその要因のひとつではないか。深山の緑と幽谷の水の青が溶け合って渾然一体となった美しい自然の風景の中では、これらの二つの色がおのずとその区別を失ったであろうことは容易に想像できる
日本は水の国だ。畑をうるおし農作物を育て私たちの命をうるおす美しい水がふんだんにある。そんな国で培われてきた日本語の中にも比喩的な「水」が流れているのだと私は思う。人と人との関係を円滑にする緩衝的な潤滑「水」の流れがある。それが、多言語と比較し「あいまい」だと言われる日本語の「あいまいさ」の真の姿(正体)のような気がする
日本語では、「許す」という最も寛大な行為を「水に流す」と表現する。言葉はその国の気候風土の生き写しなのだ
Gatito Umi-chan
以上は、本塾のメールマガジン『e-yakuニュースNo.65(2006年03月末発行)』に掲載されたものです |