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スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

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Mascota
"Umi-chan"

 

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「海ちゃんと映画」 "Umichan y Cine"  Temporada-III
 

 

 製作国  スペイン  製作年  1992年 日本公開1993年
 原題名  Jamón Jamón
 日本名  ハモン・ハモン
 英語名  Ham, Ham
 監督  Bigas Luna
 出演  Javier Bardem, Penélope Cruz, Jordi Mollá
 受賞  第49回ベネツィア国際映画祭銀獅子賞
   
 

 
 

第四話

 

 
 この映画、いきなり、睾丸の大写し映像から始まります。と言ってもあの闘牛の看板「Toro de Osborne」のことですが。ソコが少し破れているのが、見ている者の心をザラつかせます。映画の中では、この場所で、出会いや別れ、秘め事が展開するのですが、そうした関係が不毛に終わることを示唆しているかのようです

 この闘牛の看板、「Toro de Osborne」は、もう半世紀以上をさかのぼるのですが、当初、ブランデーの宣伝用としてつくられたものだったそうです。多いときには500ヶ所に設置されていたそうで、たしかに、スペインの道路を走ると必ずや目にしたのがこの看板でした。ところが、1988年の道路基本法(La Ley General de Carreteras)で、国道から目に入る商業看板が禁止されます。30年以上の時を経て、「Toro de Osborne」は存亡の機に直面したのですが、すでにスペインの風景の一部としてシンボル的存在になっていたことから、この看板の撤収に反対する声は強く、ブランデー名をはずして残されることになりました。2020年現在でも約90ヶ所に残っているそうなのでまだ見るチャンスはありそうです

 主演のペネロペがすてきな美女だし、白と赤に塗りわけられた「Jamón Jamón」のタイトル文字のデザインから、根拠なく田舎のモダンガールストーリーを想像していたのですが、それは違っていました。この映画は、タイトルそのもので、貯蔵庫に丸ごとぶら下げられた大量のハモン・セラーノの豚脚が放つムンムンとした濃厚な匂いや、ニンニクと塩がきいた油っこいトルティージャやパェージャの味の残像が体にまとわりつく感じがします

 この映画には、「性」をとりまく愛情、嫉妬、怒り、憎しみ、悲しみといった人間のもつあらゆる情感がぎゅっと凝縮されています。登場人物には達観する者、静観する者、諦観する者などいません。熱いのです。皆、体をはって人生に参加しています

 主要登場人物は6人で、関係の冷えたコンチータとマヌエル夫婦、そのひとり息子のホセ・ルイス、夫と別れて一人で三人の娘を育てている母親カルメンとその長女のシルビア、そしてハム配達人のラウールです。3人の男と3人の女たち。それぞれが2本以上の「男女の赤い糸」で関係してしまいます

 ストーリーはシルビアがホセ・ルイスの子どもを妊娠してしまい、そのことを当のホセ・ルイスに打ち明けたところから展開していきます。夫のマヌエルが自分を裏切りシルビアの母親とデキていることを知っているコンチータは、息子のホセ・ルイスとシルビアの関係を認めようとはしません。なんとか別れさせようと、筋肉ムキムキの、闘牛士になりたいMACHO(マチョ) IBÉRICO(イベリコ)なラウールをシルビアに仕向け、彼女の気を惹かせて息子から引き離そうとたくらみます。シルビアはシルビアでホセ・ルイスの煮え切らない態度に幻滅しはじめていたため、あっさりラウールに惚れてしまいます。マザコンのホセ・ルイスはシルビアにぞっこんなのに若い娘だけでは満たされず、熟れた包容力を求めてシルビアの母親、カルメンとも関係を持っています

 シルビアがラウールに惚れたことを知って激しい嫉妬の炎をもやしたホセ・ルイスは、ラウールと対決すべく彼が寝泊まりしているハムの貯蔵庫に乗り込みます。そこには、このたくらみの張本人で、ミイラ取りがミイラになってしまった自分の母親がいるというわけです

 ラウールとホセ・ルイスは豚脚のハムを武器にして殴り合いになります。ラウールは吊るしてあった丸ごとの豚足、ホセ・ルイスはテーブルの上にあった食べ残しの骨を手にします。太ももにたっぷりと肉のついた丸ごとの豚脚のほうが相手に与えるダメージは大きいですし、ニンニクを常食し日頃より体を鍛えているラウールのほうが形勢有利なのは火を見るより明らかでした

 一方で、ホセ・ルイスがラウールに激しく嫉妬し、強い殺意を持ったことを知ったシルビアは、ホセ・ルイスの父親マヌエルに助けを求めます。ところが、ここでマヌエルはシルビアに欲情してしまうのです。「何するの?」とシルビア。「わからない」とマヌエル。マヌエルの顔にはハエがとまっています

 「わからない」というのは実に言い得ていると思いました。そもそも人間は望んで生まれてくるわけではないのに、いったん生まれたら「生」に執着することになります。生は性よりいずるため、生と性は切っても切り離せません。つまり、性は生そのものとしての側面をもつのですが、本人の意識レベルでは何に突き動かされての行動なのかは「わからない」のです

 とくにスペイン的なものを感じるのは、「死」そのもの、あるいは「死」を連想させるシーンが繰返しでてくることです。例えば、カルメンの元夫に八つ当たりされて死んでしまった鶏たちのうなだれた首。死体を思わせる土まみれの人形の眼窩(がんか)から顔を出すトカゲ。ラウールがコンチータに買ってもらったバイクに乗って轢いてしまったペットの仔豚、パブリートの死体とその丸焼き。夜間、素っ裸になって命がけで若い闘牛に挑むラウール。シルビアの夢に出てきた切り落とされた闘牛の頭部、残飯と犬の死体とそれに群がるハエ。連続を断ち切るものとしての「死」が意識されることで、「生」が強調されます。そして「生」は「性」でもあるのです

 ハエの役割も見過ごせません。不快な羽音とともに食べ物にとまったり顔にとまったりと何度も繰返し登場し、いい演技をしています。そこから伝わってくるのは、「生きるってきれいごとじゃないんだよ」というメッセージです

 この映画にやっと静寂が訪れるラストシーンでは3組の男女の姿が見られます。遠方から、シルビアを支えるホセ・ルイスの父マヌエル、そして、ホセ・ルイスの母コンチータの膝に顔を埋めるラウール。その手前でシルビアの母カルメンは亡骸となったホセ・ルイスを抱きしめています

 広大な、岩肌がむき出しになったスペインの乾燥地帯の風景のなか、日常をまとった羊飼いが羊の群れを連れて彼らの側を通り過ぎて行きます
6人の姿を少し離れたところから俯瞰する最後の映像は、前衛的な劇場演劇のような芸術性を感じさせます。すべてが、地平へと続く荒涼とした風景の一部になり、まるで夢の中のできごとであったかのように幕を閉じるのです

海ちゃん:「良い子の皆さんは大人になるまで見ないでね」映画だにぇ。それにしても、エッチな映画だったにゃぁ!
アウトーラ:エッチはヘンタイの頭文字の「H(えっち)」
海ちゃん:古いにゃぁ ┐(´д`)┌ やれやれ、エッチはエッチにぇ!!
アウトーラ:この映画も古いけどね。つかぁ、なんか、登場人物は下半身に脳みそが下がっちゃったみたいな人たちばっかりで、エロスを感じないよね。下品で低俗で悪趣味な映画だって切り捨ててしまう人も多いと思うよ。とは言ってもね、エンディングで見せた監督の技量に、私は圧倒されましたよ!
海ちゃん:同感ですにゃ!エッチなだけの映画じゃないにぇ。この映画はスペインの匂いがムンムンします。一面だけみてラテン系の人たちは陽気だとかあっけらかんとしているとか決めつけるのはちょっと違うって気づくにょ。スペインのエッセンスが詰まった名作ですにゃ!!

ところで僕ちゃんが乗っている闘牛の看板についてもっと知りたい人は「Toro de Osborne」のキーワードで検索するとたくさん出てくるにょ
今年も残すところあと数時間。皆さん、よいお年をお迎えくださいにぇ
では、またにぇ!
 
 

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