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スペイン語翻訳通訳

Instituto de Traducciones de Tokio

翻訳・通訳学習を通して、本格的に、そして、本腰を入れ、じっくりとスペイン語を学び、実践的なスペイン語能力を身に付けたい、伸ばしたい人のための塾です


Mascota
"Umi-chan"

 

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「海ちゃんと映画」 "Umichan y Cine"  Temporada-III
 
       
 原題名 The Lost Weekend  製作年 1945
 スペイン語題名 Días sin huella   白黒映画
 日本語題名 失われた週末  監 督 : ビリー・ワイルダー
 製作国 米国 Charles R. Jacksonの小説の映画化
 出演 レイ・ミランド / ジェーン・ワイマン / フィリップ・テリー

アカデミー賞4部門ならびにカンヌ映画祭賞グランプリ受賞作品

 
 

     

第十四話

 
  この映画の主人公はアルコール依存症です。まぎれもないアル中です。でも、実際には、どこまでが酒癖の悪い呑兵衛で、どこからが治療が必要な中毒者なのかはわかりにくいですね。ネットで調べてみたら、「やめたい気持ちが葛藤している状態。問題なのは飲酒量ではなく、自分をコントロールできないことである」という、わかりやすい定義が出てきました。自分が自分自身の思うようにならないというのは、もうひとりの暴れん坊を自分の中に飼っているようなものです
  この映画の主人公で、アル中をこじらせているドンも、「ふたりのドンがいるんだ。作家のドンと大酒飲みのドンさ」と言っています。「僕が何かをしようとすると、必ず大酒飲みのドンがでてきて、まぁ、ちょっと飲んでから考えようよと魅力的な声でささやくんだ」そうです。また、「人には二種類あって、飲みたいときは飲む、飲みたくなければ飲まないというコントロールを自分の意志でできる人とそうでない人がいるんだ」と、まさに上記の定義と同じことを映画の中のセリフで言っています
  ドンはすでに社会生活が成り立たなくなっており、収入もありません。6年ほど前から兄のアパートに居候して養ってもらっている状態です。飲んでは問題を起こすことを繰り返すので、兄はもうドンにうんざりしています。この兄は週末を利用して郊外でのんびり過ごす計画を立てているのですが、ドンを置いて行くわけにはいかず、連れて行くことにしていました。一人にするとどうなるかが火を見るよりも明らかだからです
  兄と一緒に旅行をすればその間は監視されてしまうので自由はききません。果たして、まんまとニューヨークのアパートに一人で居残ることになったドン。ドンにはもう飲まないという選択肢はありません
  想定どおりですが、「責任ある善良な市民」とは真逆の、飲むためになら盗みもするという節操のない自滅的な週末が展開します。まず、お手伝いさんに嘘をついて手に入れた10ドル札をもって馴染みのバーに行き、アルコールが入って気分が高揚して頭が冴え、すばらしいインスピレーションが湧いた(と本人は感じている)ところで、今度こそ以前から着想を得ていた小説を書くことを決意します
  そんな情けないドンにも、タイム社に努める才色兼備のヘレンという、彼にはでき過ぎた恋人がいます。ふたりは、三年前、オペラの会場で偶然に出会って以来の恋人同士です。その頃のドンはまだ、作家を職業とする教養があって魅力的な男として振る舞うことができていたのです。ヘレンはこのアル中のドンを今も変わらず愛していました
  酒飲みのドンは、作家であるドンの意志とは裏腹に、ますますアルコールへの依存を強めていました。小説を書き始めることなどできるはずもありません。タイプライターに向かい、書き始めては見たもののタイトルを打ち込むだけ。ドンによると「すばらしいアイデアが浮かんでもそれを紙に書き移そうとすると蜃気楼のように消えてしまう」のだそうです
  ドンは女友達に酒を買う金の無心に行った帰り、そのアパートの階段から転がり落ちて病院に運ばれるのですが、運ばれた先はアルコール依存症患者病棟でした。そこで、多くの依存症患者を目にしたことで、自分の問題の深刻さを悟ります。それでも飲むことをやめられないドンは追い詰められ、希望を失い、自己嫌悪から自殺を決意するのです。酒を買うために質に入れていたピストルを、勝手に持ち出したヘレンのコートと交換して受け戻したのです
  ドンを愛するヘレンには彼の行動はお見通しです。なんとかドンに思いとどまらせようとして、愛情のこもった暖かい言葉で一生懸命ドンを励まします。「飲むのはやめましょう。あなたにはすばらしい才能があるの。あなたはできる人よ」と。彼女の愛情あふれる言葉のおかげでドンは心を入れかえ、もう決して飲まないと決意するのです。そして、この週末中に書き始めるはずだった、「The Bottle」という、タイトルだけが書かれたままあった、「ある大酒飲みの告白」による小説を書きはじめるのです。なぜ彼は飲むのか。なぜ飲むのをやめられないのか。アルコール依存症者として経験したこの週末の出来事を克明に描き出し、恐ろしさを人々に伝えることで社会の役にたつのだと。「THE END」
  …めでたし、めでたし…って「えぇぇぇ…!!!…ちょっと待ってぇ!」と思ってしまいました。これではあまりにも現実からかけ離れた御伽話です。映画のストーリーに信憑性は必要ないとはいえ、アル中の治療は実際にはここからが難しいのではないのでしょうか…この映画が封切りされた当時、この美しいラブ・ストーリーをお手本にしてアル中のパートナーを相手に無駄な努力をし、「私の愛が足りないから」と自分を責めた女性も多かったのではと想像します
  この映画が伝えようとしているのは「一番大切なのは『愛』。愛があればどんな困難も乗り越えられる」というメッセージです。とはいえ、家の中をコウモリが飛んで、そのコウモリがネズミを襲うというような妄想を見る重症者が、『愛のココロ』で説得されたからと言って飲むのを止められるはずはないのです(普通ならとっくにアイソつかして『愛のココロ』など残っているわけもありませんが)
  ワイルダー監督にとって、この映画の主人公はドンというよりもヘレンだったのではないでしょうか。「どんなことがあっても決して男を見捨てない理想の女」という監督の男としての見果てぬ夢が込められた映画。とすると本当のテーマは「男の弱さ」だったのかも知れません

海ちゃん:アウトーラ、僕がまだ子供だった頃、いたずらで僕にビールを飲ませたにぇ?僕ちゃん、何にも知らなくて、苦いのは体にいい薬だと思って飲んだにぇ。ちょっと飲んだだけで、天井は回り、僕の足はもつれて猫なのに千鳥足。仔猫になんて悪いことをするのにゃっ!!って、今は思うのだけど、あの時はウキウキ、フラフラ、ちょっと面白い体験だったにぇ
アウトーラ:それは失礼しました。忘れているかと思った。ごめんね。海ちゃんがあれでアル中猫になって、肝臓こわして、鬱になって、百万匹のネズミに襲われる妄想を見てお風呂に飛び込んで死んじゃったら、私はどんなに後悔して自分を責めたかわからない…
海ちゃん:なんか、大げさにゃっ!あんな苦い飲み物は二度と飲みたくないってことにぇ。それより、アンダルシアやカタルニアの甘いお酒とか、梅酒とか、夏みかん酒とか、桃酒とか、養〇酒とか、美味しいお酒は他にいっぱいあるにょ
アウトーラ:はぁっ!?海ちゃん、私のお酒、こっそり飲んでるにゃ?!(⇐ 猫弁になっている)
海ちゃん:にゃはっ!では、皆さん、美味しいお酒を飲んで良い年をお迎えくださいにぇっ!!
 
 

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